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    カテゴリ: 教育


    【気になる】「トランスジェンダーと同じ更衣室はイヤ」 不満訴える女子部員に学校の措置は…



    更衣室・ロッカールーム・部室

    男の子として生まれたものの、女の子として生きているバレーボール部員。しかし更衣室の利用をめぐって他の部員が不満の声を上げていること、また学校側が下した決断などについて、『Fox News』などアメリカメディアが伝えている。


    ■バレー部員の間でトラブル

    アメリカ・バーモント州の高校で、ある問題が発生した。女子バレーボール部の部員たちが、トランスジェンダーの部員と同じ更衣室を使用することを嫌がったためだ。

    トランスジェンダーの部員が着替えの最中に“不適切な発言”をした」「それがトラブル引き金になった」と主張する部員は、男として生まれた部員と同じ更衣室を使うことに抵抗があるとメディアコメント

    しかし学校側は「(自分で主張する)性別に合う更衣室を使うべし」と判断し、不満を訴えた女子部員たちの女子更衣室の使用を禁じたのだ。


    関連記事:みやぞん、女子ラグビー部員のデート場所にびっくり 「結構みんなもそうなの?」

    ■「イジメではない」という主張

    ある部員はメディアの取材に応じ、「(トランスジェンダーの)部員と更衣室をシェアするのがイヤな者は、個室トイレ着替えるよう求められました」とコメントしている。

    「10人ほどの女子が個室を使ったら、着替えが終了するのに30分以上かかります」「(トランスジェンダーの)部員1名が個室を利用すれば1分ですむのに…」とも説明。そう望むことを、嫌がらせまたはイジメとみなされ非難されることに、拒否感を示した。

    ■学校側の姿勢は…

    学校では、トランスジェンダーの生徒については、男子用・女子用のどちらの更衣室を選択しても良いとしている。しかしこのようなトラブルが起こったため、学校側は保護者にメールを送信し、「部員たちがプライバシーを守りながら着替えができるスペースは十分にある」と伝えた。

    また女子部員たちからトランスジェンダーの部員に対し、嫌がらせに該当する言動がなかったかなど、学校側で調査を進めているそうだ。


    ■世間からは「なぜ?」という疑問も

    トランスジェンダーとして生きる人たちの権利も大事だが、そうでない人たちの権利も大切なものだ。インターネットには「女子として生まれた部員たちの人権とプライバシーも尊重すべき」「男性器を持つ人に女子更衣室を使わせるのはおかしい」「性転換手術を受け終えるまで、女性として認めないで」というコメントも多数書き込まれている。

    多様性に寛容な世の中になりつつあるが、それに伴い学校を含む社会も対応を十分に検討する必要がある。

    ・合わせて読みたい→前園真聖、秀岳館サッカー部の改善を訴え 「暴力で上手くなることはない」

    (文/Sirabee 編集部・マローン 小原

    「トランスジェンダーと同じ更衣室はイヤ」 不満訴える女子部員に学校の措置は…


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    【気になる】子供の才能を伸ばすために本当に必要なこと



    子供の才能を見つけて伸ばすためには、どうすればいいのか。慶應義塾大学文学部の安藤寿康教授は「遺伝学的には、たくさん習い事をさせるほど才能が発現しやすい、というわけではない。子供がやりたいと言ったら通わせてあげる。それぐらいで十分だろう」という――。(第3回)

    ※本稿は、安藤寿康『生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』(SB新書)の一部を再編集したものです。

    ■「お金持ちの子どもほど、人生は有利」は本当か

    Q 子どもの時にはできるだけたくさん習いごとをさせた方がよいのでしょうか?
    A たくさん習いごとをさせれば、それだけ素質を発見するチャンスが高まるというものではありません。

    ヴァイオリンピアノなどの楽器、英語や中国語といった外国語に、体操教室、プログラミング、科学教室に図工教室……。世の中には子どもたちを対象にした習いごとが無数にあり、「××を伸ばすには、小さい頃から!」、「これからの時代は、○○が必要!」という宣伝文句で親を煽ります。

    「これからの時代は英語はやっぱり必要だろうし、ITスキルがあれば年収の高い仕事に就けると言うし、だけど芸術的な素養も人生を豊かにするのに必要な気がするし、それに体が丈夫でないとダメだから何かスポーツやらせないと。ああ、お金がいくらあっても足りない!」そんな風に悩んでいる人は多いのではないかと思います。

    子どものうちにいろんな経験を積ませれば、才能を発現するチャンスも増えるんじゃないだろうか。お金持ちの子どもほど、人生は有利なんじゃないだろうか。習いごとに関して親が大いに悩むのは、おそらくこのあたりでしょう。それでは、たくさん習いごとをさせればさせるほど、何らかの才能が発現するチャンスは増えるものなのでしょうか。

    ■「たくさん習い事をすれば才能が発現する」に根拠はない

    「才能のある人の3条件」として、「特定の領域に対してフィットしていること」、「学習曲線が急上昇カーブを描くこと」、「学習ができる十分な環境が与えられていること」が挙げられます。

    確かに、子どもの能力が「特定の領域に対してフィットしている」という稀な幸運はありえますが、そのためにいくつもの習いごとをさせて適性を見るというのは分のよい方法だとは思えません。なぜならいわゆる才能を発揮している人が、子どもの頃にたくさんの習いごとをする中で、その才能の素質に出会ったというエビデンスはないからです。

    むしろ遺伝的な能力は、どんな状況でも自らそれを育てる環境を選び取っていくようです。

    動物行動学でノーベル賞を取ったニコラース・ティンバーゲンが言っていたと思いますが、動物行動学を志してしまう人は、たとえ大都会に生まれ育ったとしても、子どもの頃からコンクリートの谷間に生えている雑草にやってくる昆虫に自ずと関心を持ってしまうのだそうです。

    いや、ノーベル賞を取るような天才的な才能の発見のことを言っているのではない。将棋の盤面を一目見て名人が唸るような一手をバンと打つとか、一度聞いただけの曲を正確に再現するとか、そういった天才のエピソードではなく、凡人のちょっとした才能をどう見つけるかの話をしているんだ。そのためには、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、いろんなことを習わせないと見つからないんじゃないか。そう思われるかもしれませんね。

    もちろん後で述べるように、習いごとには、学校教育と違い、オーセンティックなもの、世界に存在する本物の文化環境に至る道程の入り口に立たせてくれるものがしばしばあります。そういう意味で、大事な教育機会だとは思います。

    ■文化的に豊かな本物に触れることは大切

    学校の音楽の授業ではプロの音楽家は育ちませんが、町のピアノ教室が世界的ピアニストになる最初のきっかけを作ってくれたり、近所の体操教室の指導者が実は元トップクラスの選手で、その世界へのあこがれを子どもに抱かせてくれたり、といったことはままあるものです。

    習いごとの中身が芸能・芸術やスポーツ、語学など、私たちの文化の中に本物としてあり、指導者もプロアマ問わずその領域に対する造詣がある人ならば、オーセンティックな教育環境となりえると思われます。

    ただ他方で、受験テクニック強化のために作られたようないろんなメソッド系の塾や教室での活動は、それ自体が平準化された教育プログラムに適応するためのもので、その文化的な由来がオーセンティックではないものも少なくありません。どうせやるなら、その先に文化的に豊かな本物に触れることのできる習いごとを選んであげたいものです。

    ■高い月謝を払わなくても才能を発現する機会は得られる

    しかし覚えておいてほしいのは、基本的に人間、いや生物が遺伝的に持っている能力というものは、いきなりピアノだとか水泳だとか、そろばんだとか、そんな大きな単位で発現するものとは限らないということです。

    はじめは鍵盤からいろんな音が鳴るのが面白いとか、プールの水が自分の体を支えてふわっと浮かせてくれる感じが気持ちよいとか、そんな些細なポジティヴ経験から始まり、時間をかけて徐々にピアノの能力、水泳の能力へと育っていくのです。そしてそのような経験をする機会は、高い月謝を払わなければ受けられない習いごとの教室でなくとも、幼稚園にあるピアノ海水浴でも得られます。

    そして子ども時代の膨大な時間は、著しく貧困だったり虐待を受けたり、ヤングアラーでいつも病んだ親の介護をしなければならないような家庭でなければ(そこが問題なのですが)、それらをある程度の豊かさで経験できる機会を与えてくれます。

    さらに言えば、人はある程度の貧しさや逆境の中でなければ、本当に必要なことには気づかないということがあります。逆境にいる人も、すぐに手に入らなくとも、いつか手に入れようという夢だけは大切に持っておきましょう。それが人の脳が持つ予測器としての働きの表れかもしれないからです。

    いきなり巨大なホームセンターに行っても、欲しいものはかえって見つけにくいもの。むしろコンビニもないような村に、たった一つしかない小さなよろずやの棚の中に、案外何か欲しいものが見つかりやすいのです。それに手ごたえがあったら、徐々にもっとよいものを探しに、街のホームセンターへ行けばいいでしょう。

    ■狩猟採集民はどのようにして素質を見いだしていたか

    能力は些細で具体的な事柄に対して特異的に発現する、というより、生物は身の回りにある環境を自分の遺伝的素質に応じて切り取っていると言った方が近いのかもしれません。かつてホモ・サピエンスが狩猟採集民だった頃の自然環境をちょっと想像してみましょう。

    サバンナや熱帯雨林など、ホモ・サピエンスを取り巻いていた自然は、真っ暗な夜空いっぱいに輝く天体、変化に富んだ地形や天候、そこに息づくたくさんの動植物などで、とても多様性に富んでいたはずです。動き回ることが好きな子どもは、その辺に落ちていた枝を拾って振り回したり、大好きな木の実を見つけてほおばったり、川で魚捕りをしたりしていたでしょう。

    運動能力の高い子どもは高い木に登って蜂の巣捕りに挑んだり、好奇心旺盛な子どもは仲間の誰も行ったことのない森の奥まで探検しに行ったかもしれません。さらに、狩猟採集民の生活では、大人たちの仕事も可視化されていました。大人たちが残された足跡からどんな獣がいるのかを推測して狩りを指揮したり、蔓を採ってきてかごを編んだりする姿を、子どもも日常的に見ることができました。

    そんな中では、将来大人になったら自分の持っている素質をどう生かせばよいのかが、具体的でわかりやすかったとも言えますね。

    ■興味があるからこそ、本当の意味で学ぶことができる

    原始的な社会に比べると、現代社会の環境はずいぶんと抽象的なモノやコトで構成されています。例えば、都市にはさまざまな建築物やインフラ、制度が存在していますが、それがどんな意味を持っているのか、どう関わっていけばよいのかを、前提知識や教育なしに理解することは難しいでしょう。

    からしてみれば、撮影スタッフなしに毎日『はじめてのおつかい』を子どもにさせるようなもので、子どもにとっては相当にキツいことではありますね。現代において社会から評価される能力を発現するには、まずある程度抽象的な事柄を理解できる高度な知的能力が必要になってくるという矛盾があります。

    そういう知識を本当の意味で学ぼうとすると、よほど興味があって自分から進んで学ばない限り、学校教育で提供される学習機会だけでは初等、中等教育段階で学ぶのは無理でしょうし、高等教育段階でも相当困難なことではないかと思います。

    経済がどう回っているかとか、どうやって国の意思決定が行われているかとか、上下水道がどんな仕組みになっているかとか、「そんなことは20歳になる前に、全部理解した!」なんていう人はおそらくほとんどいないでしょう。ざっと本で読んで知識としては知ったつもりでいても、そうした知識が自身の持つ素質と相互作用し、能力として発現するかどうかとは別問題です。

    ■子供に知識を与えるだけでは才能を育てることはできない

    何も私は、「人間が能力を発現するには、自然に帰らないとダメだ」と主張しているわけではありません(そうしたいという人を否定しているわけでもありませんが)。平準化され官僚化された教育制度の中で、高度に抽象化された知識を子どもに与えても、それに関連した能力が都合よく発現するわけではないということです。

    大自然が与えるリアルな環境刺激に比べて、非常に抽象化された知識や決まり(科学法則や法律や慣習)で出来上がっている現代社会において、それらをうまく活用できる高度な能力が、教育を受けるだけでストレートに獲得できると期待するのは無理があります。

    一方で現代社会でも、個人の遺伝的素質は身の回りの些細で具体的な事柄に対して発現します。するとそれに自分で気づき、それにこだわって自らの力で育て上げる頭が必要になります。柔らかいクッションと硬い壁面の違い、室内の色彩や意匠、人の話し声に、モノが立てる音。

    さらには、テレビスマホや街の広告モニターから流れてくる映像や音楽、注意書きや書籍に記載されている文字やイラスト、家事や筆記のための道具、家の外には公園や商店があり、自転車自動車が行き来している……。私たちの身の回りには実に多様な環境が存在しており、それらは意識せずとも各人が持つ素質と相互作用を行い、無意識のうちに統計的な確率計算を行って、自分なりの世界に関する内的モデルを作っています。

    ■「裕福な家庭に生まれれば才能が発現する」は間違い

    山奥のぽつんと一軒家で、完全に自給自足して外の世界と接触がなく、テレビもない、訪れる人もほとんどいないというような孤立環境でない限り、少なくとも日本にいれば、たいていの人はある程度多様性のある文化的な環境にいると考えてよいと思います。

    特に最近は、スマホからYouTubeなどのコンテンツにも簡単にアクセスできます。しかし、と言いたくなるかもしれません。家が裕福であれば、もっといろいろな体験を子どもにさせられるから、才能が発現するチャンスが増えるのではないかと。これに対して行動遺伝学が言えるのは、SES(社会経済状況)の能力に対する影響は、一般的に思われているのとはちょっと違うということです。

    確かに家庭のSESは、オールマイティに能力や健康に一定の効果を与えます。学力や知能に共有環境の影響がある大きな要因の一つは、家庭の豊かさであることは間違いありません。しかしすでに述べた通りそれは遺伝の50パーセントに対して30パーセント程度、芸術やスポーツ、数学などの才能についても、共有環境の影響率はまったくないか、あってもごくわずかです。

    たくさん習いごとをさせるほど学業成績がよくなったり、何かの才能が発現する確率が高まったりという研究結果は出ていません。大金持ちの家と中流家庭とでは環境の多様性に大した差はなく、どういう能力を発現するかは遺伝的素質によるところが大きいのです。ただし極端な貧困や虐待のある家庭の場合は事情が異なります。だからこそ貧困と格差対策の政策が重要なのです。

    ■「ある程度以上の多様性を備えた環境」が重要

    脳の発達においては、後部帯状回から頭頂にかけて存在する、おもに身体的な感覚を司るネットワークがまず発達し、その後、前頭前野を中心とした認知機能を司るネットワークが発達してきます。そして自己に関するネットワークがそれらの情報を統合しながら成長します。

    こうした脳の発達過程から推測するに、子どもの能力というものは「自分が経験したたくさんの選択肢の記憶を意識的に比較して、その中からどれかを意図的に選ぶ」という形で発現するのではなさそうです。そうではなくて、「ある程度以上の多様性を備えた環境が存在していて、そこに一定時間以上自由にアクセスできるなら、何らかの能力が何らかの形で自然と発現する」ものなのではないでしょうか。

    「ある程度以上の多様性を備えた環境」とか「一定時間以上」とか「何らかの形で」とか、あいまいな表現になってしまいますが、こうした条件は日本の「中の下」以上の家庭であれば、そして子どもの能力の発現に目を曇らせてしまうような偏りのある「教育方針」(何が何でも御三家に入れる、医者を継がせる、バレリーナにさせるなど)で子どもをしばりつけていなければ、おそらく満たしているだろうと私は考えています。

    この仮説が正しいとすれば、どの習いごと、どの入口から入るかというのはそれほど大した問題ではないでしょう。

    ■親が習いごとに神経質になる必要はない

    さらに文化というものは、入口は違っているように見えても、中ではけっこうつながっているものです。最初、能力は身体的な感覚から発現するにしても、そのうち社会的な関係性など、抽象的な領域に進んでいくことになります。

    例えばサッカーボールを蹴ることだけに夢中だった子どもが、戦術的なプレイの面白さに目覚めることもあるでしょう。一流の選手になれなくとも、それがやがて用具の開発や、人にプレイの仕方を教えること、あるいは営業やマーケティングに自分の適性を見出すことだってあるかもしれません。一見かけ離れたところに落ち着いたように見えるかもしれませんが、かつてサッカーに夢中になった経験から得た知識がその中で必ず生かされているはずです。

    習いごとに関しては親がそれほど神経質になる必要はなく、子どもがやりたいと言ったら通わせてあげる、通うところやお金がなければ、休日にちょっと時間を作って自分で相手をしてあげるくらいで、たいがいはよいと思います。

    ■遺伝的な素質とマッチすれば自然と才能は伸びていく

    子ども自身があまり乗り気でないものを無理に習わせてもお金と時間の無駄です。子どもが興味を持って自分でやっていたこと、あるいは何となく始めた習いごとが遺伝的な素質とマッチしたのであれば、「もっとうまくなりたい」、「高度なテクニックや知識を学びたい」、「同じ興味を持っている人たちと仲間になりたい」という欲求がいずれ湧いてくるはずです。本格的にお金をかけるのは、そうした才能の片鱗が現れてからでも十分ではないでしょうか。

    習いごとに貴賤はなく、そもそも子ども自身が興味を持たないと意味がありませんが、何らかの形で「本物」に触れる機会があることは、能力の発現にポジティヴな影響がありそうです。

    ■記憶力や自制心のトレーニングはあまり意味がない

    習いごとは、しばしば本物の環境そのものではなく、平準化された教育プログラム子どもを押し込めがちだと最初に述べました。しかし矛盾するように聞こえるかもしれませんが、その習いごとが本物につながっていることもあります。

    伝統的な習いごとや裾野の広いスポーツ、文化活動は、習いごとのための単なるプログラムでなく、その先に本物の社会があります。サッカーであれば、プレイでお金を稼ぐプロ選手やコーチがいて、試合をプロモートする人たちがいて、関連する仕事をしている人たちがいて、草の根でサッカーを楽しんでいる人たちがいます。バレエピアノにしても、プロ/アマの演奏者から、指導する人たち、コンサートや音楽配信を手がけている人たちもいます。

    素質を最大限に活用して、その世界で生きている人たちがいる。子どもたちがその姿を見る、実際にその世界の一端に触れるということは、単なる教育用プログラム以上の意味があります。現代社会の仕事は狩猟採集民の仕事のようにわかりやすくありませんが、習いごとを通じて、人々がどんな役割を担っているのか、どう課題に対応しているのかをリアルに見ることができます。

    逆に、記憶力や自制心のトレーニングプログラムのような習いごともありますが、こうしたものはだいたいが本物の社会につながっておらず、能力の発現という観点からしてもあまり意味がないように思います。

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    安藤 寿康あんどう・じゅこう)
    慶應義塾大学文学部教授
    1958年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学。主に双生児法による研究により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティに及ぼす研究を行っている。著書に『遺伝子の不都合な真実』(ちくま新書)、『遺伝マインド』(有斐閣Insight)、『心はどのように遺伝するか』(ブルーバックス)、『生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』(SB新書)などがある。

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    ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gpointstudio


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    【驚愕】子どもが読書感想文を15冊分も執筆 → 全部実在しない本だった 逆に才能を感じる育児エピソード



     子どもや育児にまつわる「あるある」なツイートを、イラストとともにご紹介する企画「育児あるある」。今回は実在しない本の読書感想文(一行)を15冊分も書いてしまったお子さんが話題になっています。

    【画像】家事に追われ家族に助けを求めたら反抗期の長男がまっ先に駆け付けて「グッときた」話

    ●「偽物を作るのは、本物を作るよりも工夫がいる……」

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    子供達の夏休みの宿題、完成してるかチェックしてたら、読書感想文(1行感想を書く)が15冊分あったので、すごいと思ったのだが…

    あまりに見た事ない書名ばかりだったので、尋問したところ「本とか著者名とか漢字で難しいから、めんどくさいので自分で作った」と証言!全部実在しない本だった(笑)

    「読んだ事もない本の感想は大変だった」と言ってました。

    これはこれで面白いが宿題的にNGなので、実際に読んだ本で書き直し。非実在書籍の感想文で3時間かかってたのに、読んだ本の感想は30分で終了。

    「偽物を作るのは、本物を作るよりも工夫がいる…」という不思議な学びを得ていました(笑)一行感想だし、何よりまだ本人が小3なので、内容は皆様が想像してるような高等な物ではないのですが、彼なりの工夫が見えて親としても嬉しかったです。

    今年の自由研究は葛から糸と布をつくるをやったのですが、来年あたり「架空の本の読書感想文」提案してみようと思います。

    (MT(TRUE COLORS Japan運営、C&F協会の人)さんのツイートより)

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     今回のツイート主はMTさん。夏休みが終わりに差し掛かったこともあり、子どもたちの宿題が終わっているかと確認していたところ、本一冊を一行にまとめる読書感想文が15冊分も書かれていたとのこと。

     中を見たところあまりにも見たことがない書名ばかりだったため、違和感を覚えたMTさん。念のためにと子どもに確認すると、「本や著者名を漢字で書くのが難しいから、面倒なので自分で作った」と証言したとのことです。こ、こらーーー!!

     お子さんいわく「読んだこともない本の感想は大変だった」とのことで、見るに見かねた MTさんは実際に読んだ本で書き直すようにお子さんに指示。架空の本で書いた読書感想文は3時間もかかったのに対し、実際に読んだ本で書いた感想文は30分で書けてしまったそうです。今回の件に対し、MTさんのお子さんは「偽物を作るのは、本物を作るよりも工夫がいる」とも語っています。

     また、今回の件に対しMTさんのお子さんは、「夏休みの宿題読書感想文よりも自由研究でやった葛布つくりの方を頑張ったので、そちらの方を宣伝してほしい」ともコメントしています。

    (イラスト:野田せいぞ)


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    【何故】小学校の「あだ名禁止」「さん付け奨励」



    市川美絵がパーソナリティをつとめるラジオ生放送番組「Seasoning~season your life with music~」。今回の放送は、木曜レギュラーパートナー若新雄純慶應大学特任准教授などをつとめるプロデューサー)が登場。最近起きたニュースを独自の視点で解説する「若新雄純の『色メガネ』」のコーナーでは、小学校における「あだ名禁止・さん付け奨励」について取り上げました。


    木曜レギュラーパートナー若新雄純



    ◆「あだ名禁止」「さん付け奨励」…小学校で増加の背景
    心ない「あだ名」により、傷ついている子どもたちがいます。そこで近年、友達を「あだ名」で呼ぶことを禁止し、「さん付け」で呼ぶよう奨励する小学校が増えています。あだ名を禁止したことによって、なかには「いじめが減少した」という小学校もあるそうです。

    その辺りの相関関係については調査中とのことですが、「あだ名をなくすと、いじめがなくなるとは言い切れない」と指摘する専門家もいたそうです。

    あだ名の禁止」により、いじめが減少したことについて、若新は「自分が悪気なくやっていることで、不快な思いをする人がいるので『相手の気持ちがあることを考えましょう』と、話し合う時間を設けた。それが少なからず効果があったのではないかと言われている」と説明します。

    また、「さん付け」のルールが導入されることで、あだ名で呼ばれた本人が不快な思いをするケースが減ると見られるものの、「あまり前向きではない方法だと思う」と指摘します。

    相手が傷ついたり、いじめにつながらないようにするためには、どうすればいいのかをしっかりと議論するのも対策の1つ。ただ現状は、教員不足や長時間労働などの問題があるため、「さん付け」にするほうが対策としては手っ取り早いというのも分からなくはないという若新ですが、「あだ名禁止」よりも先にすべきこととして、若新は「あだ名に対する不服申し立てや希望を申請することを、小学生のときから学んでいくことじゃないか」と述べます。

    「(学校という集団のなかで)立場が弱い子や、いじめのような構造に置かれている子からは、(そのあだ名が嫌でも自分からは)言いづらい。あだ名で呼んでくる友人に対して、『このあだ名は、どうしても嫌』と言いづらければ、学校サイドに当たり前に申告できる仕組みなどにしたほうがいいと思う」と主張します。

    その理由について、「嫌なあだ名を付けられたにもかかわらず、呼ばれ続けている状態は、それこそいじめのきっかけになる人間関係の構造になっているのかもしれない。また、あだ名だけでなく、本人がしたくない遊びに誘われるなど、自分が嫌なことをされているのに言い返せない状態が起きている」と言い、「全員が『さん付け』で呼び合っているからといって、誰かが弱い者いじめをしたり、傷つけたりしないということではない」と語ります。

    さらに若新は、“あだ名により不快な思いをしていることを申告できる窓口”を設けることや申告する力をつけることが大切じゃないか、という提案に加え、「愛称のようなものが生まれるなかで、小さい頃から『こう呼んでほしい』という呼び名を申し出ることができるのもすごく大事」と言います。

    さらに、“言ったもん勝ち”という言葉を引き合いに出し、「ごく一部の“言った人”だけが得をするような言葉になっているけど、“言ったもん勝ち”ではなくて、“言わないもん負け”なのが社会の残念な現実だと思う」と持論を展開します。

    続けて「言わないことで勝手に(物事が)決まってしまったり、言わないことで自分の本当の気持ちを感じ取ってもらえなかったり、問題に気づいてもらえない。言うのが下手な人はどうすればいいのかという話になるかもしれないけど、だからこそ小さい頃から、それをトレーニングするべきではないか」とも。

    「(学校の規則を守ることも大切だけど)それ以上に、勇気を振り絞って『こう変えてほしい』『こっちがいい』と言いましょう。言った上で、納得のいくあだ名や愛称を作っていくようなコミュニケーションを学ぶことのほうが大切なのではないか」と話しました。

    <番組概要>
    番組名:Seasoning~season your life with music
    放送日時:毎週月曜~木曜 13:30~15:55
    放送エリアTOKYO FMをのぞくJFN全国20局ネット
    パーソナリティ:市川美絵、角田陽一郎(月曜)、副島淳(水曜)、若新雄純(木曜)
    番組Webサイト:https://audee.jp/program/show/38286
    小学校の「あだ名禁止」「さん付け奨励」に若新雄純「禁止より、不服申し立てを学んでいくことが大事」


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    【リアル】公立の教員はどれだけ残業しても残業代が出ない…



    公立学校の教員になりたいという人が年々減りつつある。原因のひとつが「長時間労働」という問題だ。公立教員は「給特法」という法律により、どれだけ残業しても残業代が出ない仕組みになっている。この問題をどう解決するのか。2018年10月から2019年9月まで文部科学相を務めた柴山昌彦衆議院議員に聞いた――。

    ■登下校トラブル、家庭訪問に部活動…

    ――教員には「残業が多い仕事」というイメージがあります。なぜ改善されないままなのでしょうか。

    【柴山】学校の先生の仕事というのは、その性質上、自発性とか創造性にもとづく、定型的なものではない裁量制の面が大きいわけです。結局、どこまでが仕事なのかという境目のようなものがはっきりしない。

    例えば、生徒の登下校の際に何かあると駆け付けねばならないし、下校したあとも、ちょっと勉強に不安があったり、生活面で何か問題を抱えていてそれが授業態度に影響していたりすると、熱心な先生は個別に家庭を訪ねて話を聞いたりもしている。熱心であればあるほど、そうした勤務時間外の活動が増えてしまう。

    ところが、そうした時間外の先生の働きはすべて自主的なものであるという考え方のもとに定められた「給特法」(※)によって、学校や教育委員会という組織のなかでは実態の把握が進められてこなかったという側面もあると思います。

    ※正式名は「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」。校外学習や職員会議など校長が時間外労働を命じることができる業務を4つに限定し、その分として月給の4%を「教職調整額」として一律支給するが、それ以外の業務ではいくら働いても残業代の請求はできない。

    ■同じ教師なのに、公立と私立では待遇が違う

    ――公立と私立では事情が違うのですか。

    【柴山】残業代の面では、私立教員の場合は一般の労働基準法の規定に準ずる扱いになっていますので、残業代はきちんと支払われることになり、そうなると経営側は人件費の負担増ということで働き方の実情にも留意せざるを得なくなる。本来、教師という職業において公立私立で差があるはずはないのですが、給特法では公立教員に限定しているために処遇面で差が出ているわけです。

    ――給特法は1971年に制定されましたが、現代の働き方に合わせるため2019年12月、約半世紀ぶりに大幅改正されました。当時の文科相として、改正の議論をどう進めたのですか。

    【柴山】改正点の柱は2点です。1つは、時間外勤務の上限を法的根拠のある指針として定めたこと。具体的には、原則1カ月45時間、年間360時間を上限としました(災害対応やいじめ対応等で緊急性があるときは除く)。もう1つは、年間の変形労働時間制を導入できるようにしたことです。具体的には、忙しい時期の定時を延ばす代わりに、8月に休暇のまとめ取りをできるよう定めました。

    【柴山】大臣としては、教員の働き方改革のあり方について中央教育審議会に諮問をさせていただきました。その一環として、まずは労働時間の実態把握と適切な管理をするため、タイムカードやICT(情報通信技術)の活用を図るとか、時間外労働の上限を設けるなどの指針を定める、という流れで給特法の改正を進めたのです。

    【柴山】要は、先生の時間外の労働は先生方の自発的なものという前提を打破し、それは本来的な業務であるときちんと把握し、それを校長なり教育委員会がきちんと管理していく必要がある、という点を文科省として告示もしました。ただ、残念ながらその時点ではまだ残業代を支払うべきというところまでいきませんでしたが。

    ■「校長命令ではない」と残業代が認められず

    ――給特法をめぐっては、教員による訴訟も起きています。埼玉県の公立小学校の男性教員(63)が、未払い残業代約240万円の支払いを求めた裁判では、一審、二審ともに請求は棄却されました。8月25日の東京高裁判決は、男性の時間外労働はすべて「教員の自発性に基づく業務」であり、校長の命令ではないから残業代は請求できない、と断じています。実態はさまざまな理由で残業せざるを得ないのに、結局給特法は「定額働かせ放題」の根拠になってしまっています。

    【柴山】正直あの時点では、法改正と時間外労働の厳密な管理の告示で、先生方の時間外労働も顕著な形で減っていくのではないかと考えていたのです。実際、成果も出ており、例えば2018年度と2021年度の調査を比較してみると、時間外勤務が月45時間以内の教員の割合が、小学校では41%から64%に約23ポイント増え、中学校では28%から47%に約19ポイント増えています。

    しかし、逆にいえばそれ以外の教員は相変わらず月45時間を超えているわけですから、やはり現場の方々からすると、給特法をもっと抜本的に改正するべきなのではという声があがってくるのも自然の流れなのかもしれません。

    ■残業代の前に時間外労働を減らさなければ

    ――その給特法の抜本改正について、柴山議員は以前、シンポジウムなどで「給特法は“伝家の宝刀”」と語っていましたが、その意味は?

    【柴山】伝家の宝刀という言葉そのものの意味は「いざという時にこそ抜かれる切れ味鋭い刀」ということですが、私の発言は、給特法自体が伝家の宝刀だと言っていると誤解されたようです。そうではなく、私が言いたかったのは、給特法の「抜本的改正」が伝家の宝刀なのだということ。その意味では、「いざという時」がまさにいま来ているとも思います。

    ――今年4月には「給特法のこれからを考える有志の会」(教員や弁護士、教育問題に詳しい大学教授らで組織)が、抜本的な改正を求めてネット署名活動をはじめました。すでに6万3000筆以上が集まっています。

    【柴山】そうした動きは承知しています。ただ一方で、仮に公立教員の現状での時間外労働に残業代を全額支払うとなると、年間9600億円の予算が必要になるという試算もある。もちろん、予算がないから改正はできないというのではなく、やはり、まずそもそもの時間外労働をどうやったら減らせるのか、先生が人間らしい働き方をできるようにするにはどうすればよいのか、という観点での改革を考えるほうが先と思うのです。

    ■教科別の専任教師や外部講師も検討すべき

    ――そのためにはどうすれば?

    【柴山】例えば、先生でなくてもできる仕事、あるいはムダな雑務を減らす。最近ではICTを活用した業務の効率化も図れるようになっています。その際、教員業務支援員というような、ICT専門の職員を増やすことで先生の負担を減らす。

    また、1クラスの児童生徒数を35人程度に少なくすることで先生の負担を軽減できる。これは児童生徒にとっても、きめ細かい教育を受けられるようになる。

    さらには、高学年における教科別の専任制。数学や美術など専門性が高まる教科については専門の先生をつければ、クラス担任の負担も軽減するでしょう。加えて、最近は子どもたちが学習しなければならない要素がかなり高度化していて、例えば必須となっているコンピューター関連授業など、やはりプログラミングの専門家などへの外部委託も検討すべき。

    【柴山】そしてこれも先生にとって大きな負担となっているのが、部活動の顧問。野球やサッカーなどのように、必ずしも先生が経験者ではないのに放課後の練習や休日の試合などで指導・引率をしなければならず、そうした時間も大きな負担。これを学校の部活としてではなく地域のスポーツ振興ととらえ、地域の各種クラブで経験のあるコーチなどに指導してもらう体制にするなども考えられる。いわば、部活動教育の外部委託化ですね。

    ■先生の幸福度もアップするはず

    【柴山】そうしたことを積み重ねていく改革をまず進めることが先決であり肝要だと思うのです。そのうえでなおかつ発生する残業代はきちんと支払えるような制度にする。つまり、その最後の段階でこそ「給特法の抜本改正」という伝家の宝刀を抜くべきだと思うわけです。そうすれば、先ほどの予算をかなり圧縮できることにもつながるし、何より、先生自身の働く上での幸せ度もアップするはずなのです。

    ――それでは給特法には抜本的な改正が必要なのでしょうか。その場合は、どういう改正が望ましいのでしょうか。

    【柴山】もちろん、私も給特法の改正は不要だなどとは思っていません。ちょうどいままさに、文科省で再び、先ほど申し上げたような現場での改革がどの程度進んでいるかを調査することになっています。具体的には8月、10月11月、全国の小中学校のうち各1200校、高校で300校というかなり大規模な本格的実態調査です。

    その結果により、いよいよ伝家の宝刀を抜かねばならないという議論も必要になるかもしれません。その場合には、単に残業代を支払うという単純なものではなく、公立学校の先生は公務員ですから、他の職種の公務員との整合性も考えねばならないし、大きなテーマの議論になるでしょう。

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    柴山 昌彦(しばやま・まさひこ)
    衆議院議員
    1965年生まれ。東京大学法学部卒業後、会社員弁護士を経て、衆議院議員自民党幹事長代理、首相補佐官(国家安全保障政策担当)、文部科学相などを歴任。

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    柴山昌彦衆議院議員。当時の文部科学相として給特法の改正に携わった - 撮影=プレジデントオンライン編集部


    (出典 news.nicovideo.jp)

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