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    カテゴリ: 議論


    【本質】日本人が「話し合いは苦手」とあきらめてしまう根本原因



    話し合いが苦手」と感じる人が多いのはなぜか。立教大学の中原淳教授は「『やらされ感』の漂う会議、何も決まらない打ち合わせ、沈黙だけが支配する学級会、紛糾する委員会。話し合いに対する人々の『絶望』が深まっている。その原因は、心理的安全性の低さにある」という――。

    ※本稿は、中原淳『話し合いの作法』(PHPビジネス新書)の一部を再編集したものです。

    ■話し合いが「瀕死」の状態に陥っている

    話し合いは、面倒くさい」
    「話し合っても、何も決まらない」
    話し合いは、時間の無駄だ」

    このような「あきらめ」が、社会全体に広がっているような気がするのです。あなたの学校や会社で、話し合いは今や「瀕死」の状態にありませんか。

    「やらされ感」の漂う会議、何も決まらない打ち合わせ、沈黙だけが支配する学級会、紛糾する委員会。話し合いに対する人々の「絶望」が深まっています。

    一方で、話し合いの大切さや意義が、これほどまでに認識されはじめている時代も、ありません。

    社会には分断や争いが増え、不確実性が増す中で、それでも物事を決めなければならない局面が増えました。そう簡単にわかり合えない隣人と、それにもかかわらず妥協点を見出しながら、話し合いを交え、生きていかなければならない状況も生まれています。話し合いは、多様な人々がこの世に生を受け、他の人々と「ともに」生きるための知恵でもあります。

    私たちは、話し合いがあるからこそ、さまざまな葛藤や矛盾を乗り越え、多様な人々と共生し、ときには協力し合い、独力では達成できないことすら達成できるのです。一見、絶望のようにしか感じられなかった話し合いの「その先」には「ささやかな希望」があります。

    しかしながら、日本のビジネスパーソンも学生も皆、「話し合いが苦手」です。我が国において人々がなぜ話し合いが苦手になってしまうのか、これに影響を与える風土、慣習について深掘りしてみることにしましょう。その理由は多々あるとは思いますが、代表的な理由について述べていきたいと思います。

    ■「同調圧力の強さ」が話し合い下手の根本原因

    日本人話し合いを苦手としている原因の1つは、日本人が「単一」に近い民族から構成されていて(※注)、「同質性が極めて高い集団」の中で、お互いに同調行動(皆が同じような行動)をとりながら、日常生活を送っているからです。

    ※注……近年の人文社会科学の研究は、日本人が「完全に単一」の民族ではないことを明らかにしています。ですから日本人といっても、多様性に満ちています。なお、日本人というアイデンティティすらも、実は明治期以降の国民国家の形成によってつくられたものであることを付記しておきます。

    かつて日本社会の集団特性について文化人類学的に考察したのは東京大学教授の中根千枝氏でした。中根氏は、『タテ社会の人間関係単一社会の理論』(1967年講談社)において、単一の集団からなる日本人は「場を共有すること」に執着する傾向があり、「場への全面的、全人格的なエモーショナルな参加」を、相互に求め合うことを指摘しています。つまり日本人は他者に対して、個のすべてをかけて集団に関わることをともに求め合う傾向があるというのです。

    かくして「すべてを集団の場にささげ合う」ことの先に、その集団内部には強烈な「ウチ意識」が生まれます。反面、集団の外部に広がるいわゆる「ソト」には、「排除的」になる傾向があります。さらに、ウチの内部では「閉鎖性」が生まれ、人々がともに「同調行動」をとっていくこともあります。ここで同調行動とは、「人々が周囲の行動や意見に合わせて自らの言動を決める傾向」のことをいいます。

    このことは、「出る杭は打たれる」という言葉に象徴されます。同調圧力が非常に強く、そこからはみ出す「出る杭」は、皆から打たれやすい傾向があります。

    話し合い」に関していえば、「みんなの前で、こんなことを言ってしまったら、後から刺されるかもしれない」と「出る杭」になる行為を恐れ、発言をためらいがちです。

    ■日本は「心理的安全性」が低い社会

    これに関連してここ数年、日本でも「心理的安全性(Psychological Safety)」という言葉が注目されています。心理的安全性とは、ハーバード大学エイミー・エドモンドソン教授が、今から20年くらい前に、組織論(チーム研究)の中で用いた概念です。

    ドモンドソン教授によれば、心理的安全性とは「この集団で、リスクを取って何かをしたとしても、対人関係上の危機が生まれない」ことです。話し合いで言えば、「心おきなく自分の意見を言っても、村八分にされないこと」です。

    あえて、この流行語を用いて、日本人の傾向を表現するならば、「日本は、同質性が高く、同調行動が望まれることが多いが、心理的安全性が低い国」ということになるのだと思います。

    かくして、人々は空気を読むことを重んじます。空気を乱すようなことを言うと、すぐに「出る杭」になります。このような環境があるために、何か皆の前で発言することに非常にリスクが高い、と感じてしまうのです。

    ■「仲がいい=心理的安全性が高い」ではない

    このことは、大学生グループワークなどで話し合う様子を見ていると、如実に感じ取ることができます。

    一見、彼らは、仲がよい間柄で、お互いによいコミュニケーションをとれているように感じます。しかし、「仲がよいこと」と「心理的安全性が高いこと、低いこと」は、実は「別次元の問題(別軸の問題)」です。

    次の図表1に見るように、縦軸にメンバー同士の「仲がよい/悪い」をとり、横軸に「心理的安全性が保たれている/いない」をとると、論理的には、次の①~④の4つの象限が生まれます。

    ①仲がよく、かつ、心理的安全性が保たれている
    ②仲がよいけれど、心理的安全性は保たれていない
    ③仲が悪いけれど、心理的安全性が保たれている
    ④仲が悪く、かつ、心理的安全性も保たれていない

    このうち、④の「仲が悪く、かつ、心理的安全性も保たれていない」のは論外です。③の「仲が悪いけれど、心理的安全性が保たれている」というのは、現実には、なかなか起こりえません。

    本来は、①の「仲がよく、かつ、心理的安全性が保たれている」ことが理想的ですが、一般に大学生が陥りがちなのが、②の「仲がよいけれど、心理的安全性は保たれていない」空間です。一見仲がよさそうに見えても、「こんなことを言うと和を乱すかもしれない」と考え、お互いに言いたいことが言えない状況がそれにあたります。

    大学で行われているプロジェクト学習、ゼミナール。読者の皆さんも、機会があったら、昨今の大学をぜひのぞいてみてください。これらの学びの場では、学生が4~5人のチームグループを組んで課題解決や探究を行っていますが、そこでは一定の割合で、「一見、仲がよいけれど、心理的安全性は保たれていない」グループが散見されるはずです。

    ■心理的安全性は話し合いの基礎資源

    また、これは多くの職場においても当てはまることのように思います。むしろ、長期雇用の慣行が支配するこの国では、同じオフィスで、いつものメンバーと、仕事の現場において長い時間を過ごさなくてはならないので、事態はより深刻かもしれません。

    仕事の現場においても、一見、仲がよさそうにも見えるけれども、本質的な課題については意見を言わないようにする、といったことが横行します。日本の教育現場でも、オフィスでも、必ずしも集団内部で心理的安全性が確保できているとは言えないのです。

    しかし、心理的安全性は、話し合いのための基礎的資源です。

    話し合いでは、その過程において、話し合いテーマに対して、お互いに自分の意見を表明する必要があります。お互いに、相手の意見や考えに対してリスペクトを持ちつつ、意見を表明し合うことが重要です。

    よって、同調行動への圧力が強く、心理的安全性が低い日本では、話し合いをうまく進めることに困難を感じる人が少なくないのです。

    ■「言葉にすること」を恐れてはいけない

    私たちは、アメリカヨーロッパなどに比べれば人種や文化がそれほど多様でない島国に生まれて、過ごしてきました。価値観が似ている人が多いので、あうんの呼吸でコミュニケーションがしやすく、空気を読むというような「察するコミュニケーション」が大の得意です。そのため、話し合わなくても理解しようとすることをよしとし、話し合いを持つことを「野暮」、あるいは「空気を読まない行為」と考える人が少なくありません。

    かくして、「言葉にするよりも感じること」「言葉よりも察すること」が重要視されてしまう傾向もあります。しかし、それだけではうまくいかない時代に、我々は突入しているのです。

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    中原 淳(なかはら・じゅん
    立教大学経営学部教授
    東京大学教育学部卒業。大阪大学大学院人間科学研究科、メディア教育開発センター、米MIT客員研究員、東京大学講師・准教授などを経て、現職。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人材開発・組織開発について研究している。『職場学習論』(東京大学出版会)など著書多数。

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    ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    【武井壮】SNSに悪口を書き込む人に持論を展開



    武井壮

    元陸上選手でタレント武井壮が7日、自身の公式ツイッターを更新。SNSに悪口を書き込む人に対し、疑問を投げかけた。

    【ツイート】武井「やっていいことだと思ってるなら…」


    ■心無いコメントに反応

    武井は、自身のことについて「権力の犬にしか見えません」と心無い発言を引用し、「まだこんな、人を犬に例えるよう差別用語を使って人を揶揄する輩がいる この時代にこれを公に発信することが侮辱にあたらないとでも思っているのかな」と異論を示した。


    関連記事:武井壮、人生で重要なことについて持論 「だいたいのことは自分が鍵」

    ■SNSの悪口に指摘

    続けて武井は、「SNSに人の悪口を平気で書き込む薄汚い行為が当たり前でやっていいことだと思ってるならそれは勘違いだと知らしめる必要がある」と主張。

    「街で知らない人に暴言を吐いて何もトラブルにならないと思うかい?」と例を挙げて疑問を投げかけた。


    ■同調や共感の声

    武井の問いに対して「思わないです!」と反応する声が上がり、「正論!!」「おっしゃる通り」「本当にそうですね」など、同調や共感する声が集まった。

    「悪口と辛口評価の境界線が難しいですね」と悪口とみなす判断の基準について言及するコメントも上がっている。


    ■武井が問いを投げかける


    ・合わせて読みたい→武井壮、“年金受給者に5000円給付”を受け若者の投票を促す 「変えてこう」

    (文/Sirabee 編集部・栗原コウジ

    武井壮、SNSに悪口を書き込む人へ持論 「正論」「おっしゃる通り」と反響


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    ボカロをテーマに、精神分析やジェンダー論といった現代思想を論じる東大の人気ゼミが書籍化 鮎川ぱてさんインタビュー
    …大学「ボーカロイド音楽論」講義』(文藝春秋)を執筆した鮎川さんに、ボカロ音楽で教養=リベラルアーツを伝える狙いについて直撃した。 早逝したボカロPたち…
    (出典:好書好日)



    【ボカロと理論が対峙?テーマ、精神分析やジェンダーなど。】の続きを読む


    私たちが普段抱えている悩みや疑問のほとんどは、多くの哲学者や思想家(哲人)がすでに考え抜き、何らかの答えを出しています。彼らが数千年も前から多くの時間をかけて見出した「ものごとの本質」を知ることで、解決のヒントが見つかるかもしれません。畠山 創氏(代々木ゼミナール公民科講師)監修の書籍『哲学者たちの思想、戦わせてみました』(SBクリエイティブ)より、「人を殺してはいけない理由ってある?」を見ていきましょう。哲人二人が肯定派と否定派(「はい」と「いいえ」)に分かれて討論します。

    人を殺してはいけない理由ってある?

    <今回のお悩み>

    相談者:不謹慎と言われそうですが、なぜ人を殺してはいけないのでしょうか? 確かに自分が殺されるのは嫌ですが、正直言って、人を殺すのが他の罪よりも重いとされるのがよくわかりません…。

    ――過激な質問のように見えますが、これに答えるのは容易ではありません。この難問について意見を戦わせるのは、近代哲学の祖・カントさんと、『異邦人』で有名なカミュさんです。果たしてこの難問を解くヒントはあるのでしょうか。

    「殺してはいけない理由」は答えがたいが…

    ■最低限守るべき人間のあり方を探究していくと、殺人を肯定するのは難しい

    カント結論は「ダメなのは当たり前のことだから、ダメ」です。人間は生まれながらに快楽への傾向性を持っている一方で、善を行なおうとする道徳的な意志能力、つまり「実践理性」も先天的に備えている存在です。理性の命じる普遍的な道徳法則に従うのが、人間の義務であり、善なるあり方です。この道徳法則は、いつの時代もどんな人も当(まさ)に為(な)すべきこと、つまり「当為」として、理由付けもなく守られてきたものです。この意味で、人を殺してはいけないことに、理由などありません。人間の義務なのです。

    カミュカントさんの言うような、ものの道理や通すべき筋、つまり「条理」を多くの人が求めがちですが、私にしてみれば、人生に条理などありません。世界は人間とまったく関係なく、ただ偶然そこにあるだけのものです。そして世界が人間の意志や願望などと無関係に存在する以上、人間は常に不条理にさらされています。私は決して殺人を推奨するものではありませんが、しかし世界にはまた殺人という不条理も、それ自体にはまったく何の意味も有益性もないままに、ただ存在します。そのことは事実として認めざるを得ないのではありませんか。

    カント人間の感覚は本来が無秩序なものであり、理性によってより良く生きることを放棄すれば、行きつく先は真理の否定です。20世紀を生きたあなたは人生に条理がないなどとおっしゃることで、何やら一種の自由を得たつもりになっておられるのかもしれませんが、自分を律するうえで条理を見出さない、そのような考え方に人格の尊厳などありますまい。理性による道徳の法則に自ら積極的に従う姿勢こそが真の「自由」であり、そのように生きるのでなければ、人類が永久の平和に到達することもないのでは?

    カミュ私が人生に意味を求めないからといって、それがさも虚無的であるかのように判断しないでいただきたい。私が言わんとしているのは、人生がどれほど不条理に満ちた無益なものであろうとも、そのことから目をそらさずに運命を直視し、人生に意味など求めずに、それでも不条理な運命を生き抜こう、ということです。それこそが人生に対する誠実さというものではないでしょうか。

    カントなるほど、おっしゃることはわからないでもないですが、しかし私は、殺人を半ば認めるようなあなたの立場にはやはり賛同しかねます。善の意志に基づいた道徳は人類の普遍的な法則であり、そこに殺人を認める余地はまったくありません。

    カミュここで、私の『異邦人』という小説の一節を紹介しましょう。主人公のムルソーは、人を射殺した動機を裁判で問われ、「太陽がまぶしかったから」と答えて死刑を宣告される。彼は死を恐れず、人々から罵られながら死刑されることを最後の希望にする。一見不条理過ぎるでしょ? でも、このことを悪とする根拠や条理は、説明できるようで、できないのでは。

    カント少し待ってください。そんな身勝手な殺人が、この世界で許されていれば、今の世界は破滅していたはずです。いつの時代も、人を殺してはいけない、という当然の道徳法則を守ってきたから、今の世界があるのではないですか?

    カミュ私は別に悪を奨励しているわけではありません。ただ、不条理を直視しながらそれでも現実を生きる、という姿勢なくしては、複雑で混沌とした現代を生き抜くのは難しいのでは、と考えます。

    ――そこまで! 「人を殺すことは理由なくダメ」とするカントさんに対して、「人生には、理由のない不条理な場面も存在する」とおっしゃるカミュさん。お二人の議論からわかる通り、相談者さんの「なぜ?」に対して、明確な答えは述べられません。ただし、カントさんのおっしゃるように、最低限守るべき人間のあり方を探究していくと、やはり殺人を肯定するのは難しい。私たちはこうした当たり前を常に考え、吟味することを忘れてはなりませんね。

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    カミュの主張】

    ⇒人生には条理などなく、世界は不条理に満ちている。たとえ殺人が悪だとしても、それが無意味かつ無益にただこの世に存在すること自体は認めざるを得ない。

    カントの主張】

    ⇒人間は生まれながらにして理性(実践理性)を備えている。理性が命じる道徳法則に従えば、殺人は認められない。

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    ■「不条理」とは何か?カミュの考えたこと(図表2)

    ■「善意思」とは何か?カントの考えたこと(図表3)

    畠山 創

    代々木ゼミナール 公民科講師

    北海道生まれ。早稲田大学卒業。専門は政治哲学(正義論の変遷)。現在、代々木ゼミナール倫理、政治・経済講師。情熱的かつ明解な講義で物事の本質に迫り、毎年数多くの生徒を志望校合格に導く。講義は衛星中継を通して約1000校舎に公開されている。「倫理」の授業では哲学的問いを学生に投げかける「ソクラテスメソッド」を取り入れ、数多くの学生に「哲学すること」の魅力・大切さを訴え続けている。

    (※写真はイメージです/PIXTA)


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    若者研究の第一人者であり芝浦工業大学教授の原田曜平さんが、理系の学部・大学院に在籍する女子大学生9人の座談会を開催。理系に進んでから気づいた意外なメリットとは――。
    座談会参加者
    藤井さん芝浦工業大学理工学研究科(修士)
    鈴木さん芝浦工業大学デザイン工学部デザイン学科
    有坂さん芝浦工業大学工学部機械工学
    岡田さん青山学院大学工学部経営システム工学科
    中川さん芝浦工業大学建築学部建築学科
    熊坂さん=駒沢女子大学人間総合学群住空間デザイン学類
    関さん横浜市立大学医学研究科(修士)
    井島さん芝浦工業大学理工学研究科(修士)
    山下さん東京海洋大学海洋工学部海事システム工学科

    ■工業大学に入学することを告げたら祖母が…

    【原田】前編で、皆さんそれぞれのきっかけがあって理系に進んだということを話してもらいましたが、周囲の人から「女性なのに理系に行くのか」というような反対をされた経験はありますか?

    【有坂】反対というほどではないけれど、小さい頃からかわいがってくれた祖母に「工業大学に入ります」と報告したときは、悲しそうな顔をされてしまいました。祖母から見ると、男ばかりの危ないところに思えたのかもしれません。「ピアノを習っていたから音楽大学に行けばよかったのに」とも言われ、ショックでした。祖父が「今は女の子でもそういう時代なんだよ!」と説得してくれて救われましたけど。

    【井島】私も反対というか、高校のときに理科で物理を選択したら、両親は文系なので「物理だと私たちは勉強を教えられないけれど、いいの?」と聞かれました。理系に進むのは100歩譲って理解できるけれど、生物ではなくて物理となるともう分からない、みたいな反応でしたね。

    【山下】私も理系に進んだときではなく、船の海上職になるために転学したときは偏見の目で見られ「そんな男社会に行くなんて、いいの?」と言われました。

    【原田】船乗りなんて男社会の最たるところですからね。どう言い返したんですか?

    【山下】えっと、「そういう時代なんだよ」と……(笑)

    【原田】そうだよね。ここにいる皆さんはご両親とかからあまり強い反対を受けなかったのかなと思うけれど、世の中には反対されてそれに屈してしまう女子も多いのかもしれない。

    ■将来のビジョンがない子は「なんとなく」文系を選んでしまう

    【鈴木】昔はよく理系に進むのを反対されたと聞きますけれど、私たちは幸い、個人の意見を尊重すべきだという時代に育ったので、周囲でもあまり聞いたことはないですね。

    【熊坂】私はアルバイト中学生高校生向けの塾の講師をしているんですが、中学の頃から興味のある分野がはっきりしている子と、何をしたいのかわからなくてなんとなく文系の方がいいかなと思っている子に分かれています。そこで、塾がプレゼンをして「理系だとこういうところに就職できるよ」と説明すると将来のビジョンがなかった子も前向きになりますね。

    【原田】そうやって情報を伝えるのは大事だよね。やはり国というか教育の現場が「理系に進むとこういうメリットがある」ということを十分に伝えられていない。理系って就職も有利なんだし、もっとたくさんの女子が理系に進めばいいのにという気持ちはありますか?

    【全員】あります、あります。

    ■数学が苦手な場合はどうすればいいのか

    【原田】でも、うちの娘は小学生で、動物とか鉱物の図鑑が大好きで、めちゃめちゃ詳しくて理系っぽいんだけれど、塾では算数の成績だけ悪い。そういう場合はどうしたらいいですか。

    【中川】私がまさにそうでした。そこからなぜ苦手な数学を克服できたかというと、建築学部のオープンキャンパスで数学の授業を受けたときに、「この図がどうやって建築物に応用されるのか」ということを教えてくれたから。数学が好きなものにつながっているんだと思うと、勉強も頑張れました。前編でも言いましたが、数学は比較的、克服しやすい科目だと思います。

    【井関】「女子は数学が苦手なものだ」というイメージがあるから、ちょっとつまずくとそれで理系に進むのをあきらめてしまう傾向がありますよね。男女にかかわらず、数学が苦手な人は多いのに、「女子は苦手でもいいよね、わざわざ理系を選ぶことないよね」とされてしまうのはもったいないと思います。

    ■理系に進んでおけば、文系の就職もできる

    【岡田】それに、高校生の時点で「理系の方が就職しやすい」「技術があれば結婚、出産後も復職しやすい」ということはなかなか分からないですよね。実際に大学に入って先輩の話を聞いてみないと……。私は今、就活中ですが、理系学部から文系の就職ができるということも高校生にはあまり知られていないと思います。

    【井関】そこまでキャリアを明確に思い描けていない子にとっては、理系に進むことは道が絞られることになると感じられるようです。でも実際には物理を学んでも進路が狭まることはないわけです。

    【原田】文系の職にも就ける。また理系から文転をすることもできますよね。つまりつぶしが効くというのは意外な盲点かもしれないね。例えば文系のイメージが強い新聞社でも科学部という部署があり、理系の人は重宝されるわけです。就職については理系が強いというのははっきりした事実なのに、リケジョが増えないのはなぜなんだろう?

    【岡田】経済的な理由として、医学部は別格としても理系の学部は授業料が高いですよね。

    【原田】今は親も経済的に苦しくなっているし、それもあるかもしれないね。

    ■文系は青山キャンパスなのに理系は相模原…

    【岡田】それにうちの大学のように文系は青山キャンパスなのに、理系学部は相模原キャンパスだということも、関係あるのかも……。

    【原田】たしかに理系の学部は郊外に追いやられがちですね。実験施設や研究所があるから広いスペースが必要ということなんだろうけれど……。

    【井島】やっぱり高校生の時点では、東京の都心で楽しい大学生活を送りたい! というあこがれで学部を選んでしまい、そうすると自然に文系ということになるのでは。

    【原田】理系だとキラキラした大学生活にはならない、と。

    【有坂】大学生インフルエンサーの人というと文系が多い。そういったSNSなどで目立つ人やタレントさんに理系の女性が増えるといいですよね。女優さんとかでも。文系に比べて、高校生以下が興味を持つきっかけが少ないのかも。

    【原田】やはりメディアで目にするものの影響は大きいよね。ネガティブイメージとしては、実験とかで勉強がたいへんというのもあるのかな。実際にはどうですか?

    ■朝から夕方6時まで「勤務」

    【藤井】授業は難しいですが、それが私にとってはよかったです。中学高校の6年間は頑張れるものがなかったけれど、大学に入ってからは学ぶ内容が面白いので毎日、充実しています。研究室の先輩からは「(実験があるので)週2日も休めないし、就職した方が楽だよ」と言われ、文系の人からは「大学時代は遊んだほうがいいよ」と言われますが、それには共感できないんですよね。

    【有坂】たしかにうちの家族は全員、文系なので、「大学生なのに、こんなに勉強するなんてかわいそう」と言われます。入学前から機械工学科は履修科目が多く卒業するのがたいへんだと言われていましたが、いざ大学に入ってみると、勉強は想像以上にハードでした。

    【鈴木】私の専攻も朝から夕方6時まで学校にいるので、もはや「授業」ではなく「勤務」と呼んでいます(笑)。でも、それを楽しんでやっているのが理系の独特なところで、逆に社会に出てからあまり困らなくていいのではと思いますね。

    【有坂】専攻している授業のほかに教職課程も取って、部活動もして、バイトもやっているので、家には寝るために帰るだけという忙しい毎日ですが、思い描いていた大学生活のとおりでもあるのでよかったなとも思います。

    【井関】私がいた学科が少人数だからかもしれませんが、ずっと一緒にいる分、ラボの仲間と一緒に能動的に学問に取り組んで、お互いにアドバイスしながら高め合えるアカデミックな環境だというのは理系ならではなのかなと思いますね。

    【井島】部活では私が入りたかった山岳部には男子しかいないなど、入れるところが限られてきてしまうんですが、授業では意外に国際性が豊か。有志が入れる国際プログラムがあって、理系の研究をしていても自分の国際性を高められるのはメリットだなと思います。

    【原田】皆さんの話を聞いてみて、僕がリケジョに抱いていたイメージとは変わってきていることを感じます。これまで女性は理系に進むのを暗に反対されるのが問題とされてきたけれど、皆さんは大学に入るまで特に反対もされず理系に進んできている。しかし、社会全体で見れば女性は生涯賃金が男性の7割ぐらいと低いし、理系に進む人も増えていない。女性がしっかり稼いで自分の生活を守れるようにするためにも、もっとリケジョが増えてほしいと思いますね。皆さんの話の中にいくつかヒントがあって、理系の就職事情や仕事と家庭の両立のリアルについてはもっと一般に知ってもらえたらと思います。

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    原田 曜平(はらだ・ようへい
    マーケティングアナリスト、芝浦工業大学教授
    1977年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーを経て、現在はマーケティングアナリスト。2022年より芝浦工業大学教授に就任。2003年、JAAA広告賞・新人部門賞を受賞。主な著作に『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(幻冬舎新書)、『パリピ経済 パーティーピープルが経済を動かす』(新潮新書)、『Z世代 若者はなぜインスタ・TikTokにハマるのか?』(光文社新書)、『寡欲都市TOKYO』(角川新書)、『Z世代に学ぶ超バズテク図鑑』(PHP研究所)などがある。

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    撮影=プレジデントオンライン編集部


    (出典 news.nicovideo.jp)


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