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    タグ:日本


    【なぜ】「毎晩1人で酒を飲む」なんてあり得ない…日本の「晩酌文化」が海外から不思議がられるのは・・・



    日本と海外の飲酒習慣は大きく異なる。一橋大学名誉教授の都留康さんは「海外ではお酒はパーティなどの『特別な日』に飲むものだが、日本では日常的に家でも飲む。1人で、または配偶者と飲むというのもあまり海外では見かけない」という――。

    ※本稿は、都留康『お酒はこれからどうなるか』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。

    ■コロナ禍で流行語にもなった「家飲み」

    「家飲み」という言葉が頻繁に使われるようになった。

    特に、2020年から続く新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言まん延防止等重点措置の発出と、飲食店への休業要請によって、「家飲み」という言葉を流行語にさえした。

    「家飲み」とは、本来は「家での飲み会」の略であり、家に友人・知人が集まってお酒を飲むことを意味していた(注)

    注:「日本語俗語辞書」

    これに対して、自宅で1人または家族とお酒を嗜むことを「晩酌」という。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大は、「家飲み」に「晩酌」をも包含させたといえる。今では、1人でも、家族とでも、友人・知人とでも、自宅で飲む場合には「家飲み」というようになっている。

    ■海外では理由もなくお酒は飲まない

    特別な理由もなく、ほぼ毎日、夕食時にお酒を飲む文化は、日本に独自なのではないか。

    筆者の欧米居住時の見聞によれば、海外では、ホームパーティや「特別の日」以外に、1人でまたは家族と夕食時に頻繁に家飲みする文化は存在しないようだ。傍証として、ウオッカなど酒飲み大国として知られるロシア人で、5歳から日本に住んでいるというYouTuberの女性の言葉を引用しよう。

    アルコール消費量が多いと言われるロシアでも、お酒はお祝いの日に飲むもので、理由も無くお酒を飲むことはありません。一方で日本の場合、お酒を飲むのに理由が要らないのです。1日に飲む量は少なくても、ほぼ毎日のようにお酒を飲んでいる人も珍しくはありませんよね。休みの日には家で晩酌、ご飯に行ったら“とりあえずビール”。仕事が終わったら仲間と居酒屋で飲んで帰るし、その後コンビニで買って歩き飲みなんて人もいます。日本人の飲み方はとにかく少量を高頻度で! なのです」(注)

    注:https://www.zakzak.co.jp/ent/news/190925/enn1909250011-n1.html

    中国についてはアンケート調査がある。図表1は、Ipsos 社の調査結果である。

    これをみると、主に中国人の飲酒目的は、社交、お祝い、接待などである。つまり、お酒を飲むには何らかの特別の理由や目的がある。これを行うのは飲食店においてであり、このため外飲みが主体となるわけだ。

    ■コロナ禍で日本の家飲みがますます加速した

    日本の家飲みと外飲みの支出額は、総務省「家計調査」から知ることができる(図表2)。

    新型コロナウイルスの感染拡大の直撃を受けた、2020年以前の家飲み(酒類購入額)の年平均金額は、4万3825円であった。他方、外飲み(飲酒代)の年平均値は1万7717円であった。

    家飲みは、外飲みと比べてもともと2.47倍も多い。2020年には、家飲みと外飲みとの比率は、4.92倍へと拡大した。つまり、家飲みの金額が大きかったものが、緊急事態宣言の発出に伴う飲食店の休業などにより、さらに増加したといえる。

    過去20年間の傾向をみると、家飲みの金額は2000年の4万9994円から、新型コロナウイルスの感染拡大直前の2019年の4万721円へと、18.5パーセントほど減少した。これに対して、外飲みの金額はほぼ変化がなかった。外食代もほぼ変化がない。こうした傾向はあるものの、日本で家飲みが優位な状況は変わりない。

    ■日本は外飲みよりも家飲みが圧倒的に多い

    家飲みの具体的な状況については、大手食品メーカーのマルハニチロ株式会社によるアンケート調査(2014年実施)がある。全国の5221人の調査対象者(20~59歳の男女)のうち、週に1回以上お酒を飲む1855人から有効回答1000人を選び、「外飲み」、(家族または1人での)「自宅飲み」、(自宅や友人・知人宅での)「友人・知人との家飲み」など、お酒を飲む場所と頻度を示したのが図表3である。

    週に1日以上お酒を飲む人の「外飲み」が20.9パーセントなのに対して、「自宅飲み」が88.9パーセントと圧倒的に多い。しかも、「自宅飲み」の頻度は、「ほぼ毎日」が30.6パーセントを占め、週に2~3日以上まで含めると、67パーセントにも達している。

    さらに図表4にみるように、自宅で飲む場合、「1人で」が55.1パーセントで最も多い。次に「配偶者」が42パーセントで続く。

    やはり、日本では、外飲みより家飲みがはるかに多い。しかも、その場所は自宅である。そして1人または配偶者との晩酌がごく普通だ。そこに特別な理由はないと思われる。こうした状況が海外との決定的な違いである。

    ■食中に飲む日本、食前・食後に飲むアメリカやイギリス

    フランスジャーナリストピエール・ブリザール(前AFP通信東京支局長)の分類によれば、世界の飲食文化は「ワイン文化」と「ウイスキー文化」とに分かれるという。前者は食事をしながらアルコール飲料を楽しむ文化であり、後者は食事の前後にアルコールを嗜む文化である(注)

    注:ブリザール、ピエール(1982)「文化としての酒について」『比較文化の眼──欧米ジャーナリストによる飲食エッセイ集』TBSブリタニカ、pp. 27–42

    個人的に筆者が経験した「ウイスキー文化」のあり方を示そう。筆者が、米国と英国で知人の家に招かれたときのことだ。

    まずは、応接間でビールなどで談笑する。いきなり食卓に就くことはない。話も一段落したら、ダイニングルームで夕食がはじまる。このときお酒はあまり飲まない(最近ではワインを飲むことは増えた)。デザートとお茶で夕食が終わると、再び応接間に移動してウイスキーなどの蒸留酒を楽しむ。主役は、あくまでも談笑と、たまには真剣な議論である。お酒は脇役といってよい。

    ワイン文化」圏は、欧州南西部のラテン系諸国であるフランスイタリアスペインポルトガルなどであり、「ウイスキー文化」圏は、英国、北欧諸国、米国などである。

    ブリザールは日本通だが、おそらく「ワイン文化」基準が強すぎて、日本を「ウイスキー文化」に分類している。だが、社会学者の飽戸弘(東京大学名誉教授)によれば「食べながら飲む」という意味において、日本は「ワイン文化」だとする(注)。筆者も同意見である。

    注:飽戸弘・東京ガス都市生活研究所(編)(1992)『食文化の国際比較』日本経済新聞

    ■日本はホームパーティを開かないのに家飲みが多い

    飽戸らは、食生活と酒文化の国際比較を行っている。調査時点は1990年で、調査対象は東京、ニューヨーク、パリの3都市である。各都市で1000サンプルに対して面接調査を行った。

    図表5から以下のことがわかる。第1に、週に1~2回以上の頻度で外食するのはニューヨークで50パーセントを超える。第2に、東京もパリも、週1~2回以上外食するのは2割程度である。逆にいえば、残り8割は、ほぼ家庭で夕食を摂る。

    図表6は飲酒頻度の比較である。これは外食頻度とは対照的に、ニューヨークが低く、東京とパリが同程度に高いことがわかる。

    これらから、2つのことがいえる。第1に、ニューヨークでは夕食の外食頻度が高い割に飲酒頻度はむしろ低い。これは、外食の多くが、家事時間の節約のためのカジュアルなものであって、お酒を飲むほどフォーマルなものではないことを示唆する。

    第2に、東京とパリでは、「家庭で食べながら飲む」人が多い。その意味で、日本もフランスと同様に「ワイン文化圏」の飲食スタイルに近いといえよう。ただし図表は示さないが、日本とフランスの違いは、パリでは月に2~3回以上も友人や知人を家に招いての夕食を摂るのが6割弱も存在することである。これに対し、東京では1割未満である。つまり、日本は家族だけの家飲みが多いのである。

    ■海外には蒸留酒を水割りして食中に飲む習慣はない

    夕食時の家飲みや晩酌が行われるか否かを決める客観的な要因として、その国で主に醸されるお酒が、醸造酒か蒸留酒かの違いがある。どの国でも飲まれるビールを別とすれば、醸造酒は食中酒であり、蒸留酒は食前または食後酒である。

    食中酒の好例が、フランスワインやわが国の日本酒である。食後酒の好例が英国のスコッチや米国のバーボンである。そして、シェリー酒は代表的な食前酒である。

    このため、醸造酒の国は「ワイン文化圏」となり、蒸留酒の国は「ウイスキー文化圏」となる。

    加えて日本では、蒸留酒を水割りにして飲む習慣(古くは焼酎や新しくはウイスキーなど)もあるので、「ワイン文化圏」と「ウイスキー文化圏」の中間に位置しているともいえる。これに対し、英国でも米国でも中国でも、蒸留酒を水割りして食中に飲む習慣はない。この意味で、日本で晩酌の習慣が定着したのは、醸造酒たる日本酒ビール、そして蒸留酒の水割りのおかげといえそうだ。

    ■個人への販促が重要な日本では酒のCMが多い

    家飲みと外飲みのどちらが主体かは、企業行動に大きな影響を及ぼす。外飲みが多い国では、酒類メーカーの販売は、業務店経由での飲食店へのアクセスが主となる(B to B:Business to Business)。ここでは、いかに有力なネットワークをもつ業務店を確保するかが、マーケティングにおいて重要となる。

    これに対し、家飲みが多い国では酒販店やスーパーマーケット、あるいはeコマース(インターネット上での売買)による個人への販売が重要である(B to C:Business to Customer)。その際の鍵は、一般消費者への訴求である。

    訴求の有力な手段である広告を取り上げよう。

    日本では、ビール日本酒テレビCMが実に多い。これに対して、海外では、そもそもアルコール飲料の広告に関して社会的な規制が強い。北欧諸国では、アルコールテレビCMは全面的に禁止されている。他の欧米諸国でも、酒類別、媒体別に細かく表現が規制されている。

    日本では、テレビCMビールの飲酒場面は当たり前のように流されるが、米国では飲酒シーンは禁止されている。これには宗教的・歴史的な背景がある。最近では緩和もあるが、アルコール度数の高い蒸留酒の広告は禁止という国も多い(http://www.sakebunka.co.jp/archive/market/002.htm)。

    こうした社会的規制の問題を別としても、外飲みが主体の国では、そもそもアルコール飲料に、日本のようにきめ細やかな広告を行う必要はないといえる。むしろ、ビールにおけるアンハイザー・ブッシュ・インベブ社(ベルギー)、蒸留酒におけるディアジオ社(英国)やペルノ・リカール社(フランス)のような、グローバル寡占企業の巨大化による流通網の支配のほうが、より効果的かつ有効だと考えられる。

    家飲みが主体か、外飲みが主体かによって、企業行動にも影響を及ぼすことは重要かつ興味深い事実であろう。

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    都留 康(つる・つよし)
    一橋大学名誉教授
    1954年福岡県生まれ。82年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学(経済学博士)。同年、一橋大学経済研究所講師。85年に同助教授、95年同教授。新潟大学日本酒センター非常勤講師。著書に『労使関係のノンユニオン化 ミクロ的・制度的分析』(東洋経済新報社)、『製品アーキテクチャと人材マネジメント 中国・韓国との比較からみた日本』(岩波書店、第3回 進化経済学会賞受賞)、『お酒の経済学 日本酒のグローバル化からサワーの躍進まで』(中公新書)など多数。

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    ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/byryo


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    【課題】日本人が子どもを生みたがらないのは「カネ」の問題か



    中国のポータルメディアサイト捜狐は6日、「日本人子どもを生みたがらないのは『カネ』の問題か」とする記事を掲載した。

    記事は、「ここ2年、日本の出生率は加速度的に低下している」とし、ゴールドマンサックス証券株式会社が最近報告したデータを引用した。

    データによると、日本の合計特殊出生率2005年に過去最低の1.26になり、2015年には1.45まで高まったが、その後再び低下している。日本の婚姻率も急激な低下が続いている。記事は、「新型コロナウイルスの流行を経て、2021年には多くの先進国出生率が改善したものの、日本の出生率は過去最低に近い1.3まで下がり続けている」と述べた。

    また、「厚生労働省の統計によると、2021年の日本の出生数は前年比3.5%減の81万1604人で、統計のある1899年以降で最も少なく、予想をはるかに上回る減少となった」とし、「日本の複数のメディアは、今年の日本の出生数も引き続き最低を記録し、80万人を下回るのも目前と見ている」と述べた。

    記事は、「日本の出生率はなぜ急減したのか」と問いかけ、ゴールドマンサックスのアナリストによる報告を引用した。同報告は、所得環境や、ウーマノミクスと密接に関連するさまざまな側面でのジェンダー格差是正の取り組みなど、出生率に影響を与える可能性のある要因を調査したものだ。

    報告書は、「かつては、豊かな国ほど女性の労働率が高く、出生率が低くなる傾向があると考えられていた。しかし、最近の学術研究では、これらの関係が大きく変化した。今日では特に先進国において、女性の労働率が高い国ほど出生率が高くなることが示されている」と述べている。同社の分析では、1人当たりのGDPと女性労働率に対する出生率ベータ係数は1980年代を通じて上昇し、2008年の世界金融危機後には低下したものの、過去35年にわたってプラス側であることが確認されているという。

    一方で記事は、「子どもを育てながら働きたいという女性の意識の強弱や、その実現に向けて政府や企業、家庭が支援策を約束しているかどうかによって、(女性の労働率は)国によって大きな違いが出てくる可能性がある。同時に、家計の将来の所得状況の見通しも影響を与える可能性がある」とした。

    ゴールドマンサックスの報告では、「日本は政治的・経済的な男女格差が依然として大きく、育児休暇日数や男性の家事参加については改善の余地が大きい。しかし、特に女性の労働参加、育児能力、企業の女性参加率向上のための奨励などの分野において、関連するイニシアティブは全般的に進展している」とされる一方で、「日本の所得環境は目立った改善はほとんど見られない。新型コロナ後の経済回復が遅れているため、日本の家庭は生活水準の見通しについて、他の先進国の家庭よりも悲観的になっている。これが最近の日本の出生率低下の主な要因ではないかと見ている」と結論づけられている。

    記事は、「1990年代以降、日本の賃金上昇率は他の先進国に比べてはるかに低い」とし、ゴールドマンサックスの「ウーマノミクスの観点だけでこの問題を捉えるのではなく、成長戦略(デジタル化など)やマクロ経済政策を含め、出生率の問題を包括的に捉えるべきだ」との指摘や、「日本の公的部門と民間部門は、出生率のさらなる低下を防ぐために、より迅速で大きな措置を講じる必要に迫られている」との見方を伝えた。(翻訳・編集/刀禰)

    中国のポータル・メディアサイト捜狐は6日、「日本人が子どもを生みたがらないのは『カネ』の問題か」とする記事を掲載した。


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    【課題】老後資金の必要額「1億円」との試算も…



    自分の老後資金に不安を抱いている人が増加しています。一部マスコミ報道では、いろいろな計算式とともに「安心して老後を送るには1億円は必要」などいって警鐘を鳴らしていますが、実際のところはどうなのでしょうか。経済評論家の塚崎公義氏が解説します。

    老後資金は「1億円必要」といわれているが…?

    老後資金は1億円必要だ、といわれているのをご存じでしょうか? 夫婦合計の生活費を毎月25万円とすると、60歳から93歳までの間に約1億円必要だ、という計算になるのです。マスコミ報道等でそれを知り、不安に駆られている人も多いと思いますが、普通のサラリーマン(サラリーウーマンや公務員等を含む、以下同様)はなんとかなりますので、まずは落ち着きましょう。

    「自分は1億円も持っていない!」という、不安と焦りを感じたとき、まず最初に考えてほしいのは、「いまの高齢者が現役サラリーマンだったときにも、1億円は持っていなかったはずだ。しかし、なんとか暮らしているようだ。だから、自分もなんとかなるだろう」ということです。

    自営業者等は定年がないため、元気な間は働いて稼ぐことができますから、こちらも過度な懸念は不要かもしれません。もっとも、自営業者の方々の状況はケースバイケースですので、本稿では主にサラリーマンについて記すこととします。

    サラリーマンは「公的年金」が充実している

    サラリーマンは、年金(公的年金。以下同様)が充実しています。標準的なサラリーマンと専業主婦の夫婦二人で、65歳以降は毎月22万円の年金が受け取れるのです。贅沢は難しいでしょうが、なんとか暮らせる金額ですね。あとは、65歳になるまで働いて稼げばいいわけです。

    老後のための蓄えがあれば、それを少しずつ取り崩して「ささやかな贅沢」を楽しむことができるでしょう。もっとも、借金が残っていると苦しいので、65歳時点までに借金は返済しておきたいですね。

    65歳時点で借金が残っていても、65歳以降も働いて稼げばいいので、過度な懸念は不要です。老後資金が貯まっていなくても、65歳以降も働いて稼げば、ささやかな贅沢の費用も稼げるでしょう。

    かつては、高齢者が仕事を探しても見つからないという問題がありましたが、少子高齢化による労働力不足の時代ですから、1日4時間しか働けない高齢者でも、仕事を探せばなんとか見つかるでしょう。

    「少子高齢化で年金が破綻する」というのは誤解だ

    日本の年金制度は、現役世代が支払った保険料を高齢者に配るという仕組みになっています。これを「賦課方式」と呼びます。その特徴は、インフレに強い一方で、少子高齢化に弱いということが挙げられます。

    インフレになると現役の給料が上がるので、保険料が増えて高齢者に支払う年金を増やすことができますが、少子高齢化になると少数の現役が支払った年金保険料を多くの高齢者で分け合うことになるので、1人当たりの年金額が減ってしまうわけです。

    したがって、高齢者の年金額は、今後少しずつ減っていくと言われています。それを考えて、若いときから老後資金を貯めたり、65歳以降も働いて稼いだりすることが推奨されているわけです。

    もっとも、「年金制度が破綻する」といった過度な懸念は不要です。厚生労働省が5年に一度発表している年金額の将来試算では、前提条件を若干厳しく見ても、高齢者の年金額はそれほど減らないとされています。

    それでも前提が甘すぎると考えるとしても、せいぜい現在の高齢者の年金額より2割減る、といった程度ではないでしょうか。現役世代の人数がゼロになるわけではありませんし、国民年金の原資の半分は税金ですから、年金制度が破綻することはあり得ないと考えていいでしょう。

    「年金が2000万円不足する」というのも誤解だ

    数年前、年金だけでは老後資金が2000万円不足する、という報告書が話題になりました。不安に思った人も多いでしょう。

    しかし、報告書をよく読むと、2000万円不足しているのではなく、高齢者は年金に加えて2000万円ほど老後資金を使っている、という内容となっているのです。つまり、2000万円足りないのではなく、平均2000万円ほどの老後資金を持っているので、それを使ってささやかな贅沢を楽しんでいる、という事なのです。

    老後資金が2000万円より少ない人は多い人よりもささやかな贅沢の量が少ない、というだけのことであって、「足りないから生活できない」ということでは無いのです。

    不安を煽る話が多いので要注意!

    老後資金問題に限らず、世の中には不安を煽る話が多いので、要注意です。評論家たちは「心配です」という方が話を聞いてもらえるので、悲観的な話をしたがります。マスコミも、悲観的な話の方が視聴率等を稼ぎやすいので、悲観的な話をしたがります。

    野党や一部マスコミは、政府批判をするために「困った状況だ。政府が悪い」と言いますが、聞いた方は自分の身に悪い事が起こりそうな気がして不安になりがちです。

    老後資金に関して言えば、「老後資金が足りないなら投資で増やしましょう」と言って投資商品を売りつけようとする輩も少なくないようです。投資をすること自体は悪くありませんが、不安心理につけ込んで商品を売り込むような相手から冷静さを失った状態で投資商品を買うのは避けたいですね。

    本稿は以上ですが、資産運用等々は自己責任でお願いします。なお、本稿はわかりやすさを重視しているため、細部が厳密でない場合があり得ます。

    筆者への取材、講演、原稿等のご相談は「幻冬舎ゴールドオンライン事務局」までお願いします。「幻冬舎ゴールドオンライントップページの下にある「お問い合わせ」からご連絡ください。

    塚崎 公義 経評論家

    (※写真はイメージです/PIXTA)


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    【なぜ】日本の少子化が加速する根本原因



    なぜ日本の少子化は止まらないのか。日本総合研究所調査部の藤波匠さんは「上の世代と比べて若い世代の実質賃金は低く、経済的に厳しい状況に置かれている。子育て費用や教育費が高すぎるために、比較的安定しているはずの男性正社員でも希望する子どもの数が減少している」という――。

    ■若い世代は厳しい経済・雇用環境に置かれている

    2016年以降、少子化のペースが加速している。2015年100万人を上回っていた出生数は、6年後の2021年には81万人となり、2022年は80万人割れが確実視されている。

    個人の価値観が多様化するなか、結婚して子どもを持つことが当たり前という考え方が時代にそぐわなくなっていることは確かである。しかし、若い世代が置かれた経済・雇用環境が、結婚や子どもを希望する人から、それらの機会を奪っている可能性を無視すべきではない。

    わが国は、バブル崩壊以降の低成長のツケを若い世代に結果として押し付け、彼らの苦境から目を背けてきた。そして、経済的理由から結婚や出産をあきらめる人がいたとしても、それは個人的な問題であるとして、政府が積極的な介入を避けてきたツケが、足元の少子化の加速として表れていると考えられる。

    少子化急加速の要因と、若い世代が置かれた経済的苦境の一端をみてみよう。

    ■2016年以降の少子化の主因は「女性人口の減少」

    わが国では少子化が叫ばれて久しいものの、2015年ごろまでの出生数(日本人)の減少率は年平均1.1%と比較的緩やかなものであった。それが、初めて100万人を割り込んだ2016年以降は、下げ足を一気に速め年率3.5%ペースで減少している(図表1)。

    少子化加速の要因を明らかにするため、出生数の変化を女性数、婚姻率、有配偶出生率(15~49歳の既婚女性が子どもを出産する割合)の3要因に分解する要因分析を行った(図表2)。

    その結果、2020年においても、依然として人口要因(女性数の減少)が、出生数減少の主たる要因であったことがわかる。ただし、人口要因による出生数押し下げへの寄与は以前に比べ小さくなってきている。

    今後を展望すると、団塊ジュニア世代が出産期をほぼ脱したこと、そして出生数が減ることなく横ばいで推移した1990年代まれの世代が出産期に差し掛かってきたことによって、出産期女性の人口減少ペースが緩やかとなり、人口要因による出生数の押し下げ効果は、徐々に小さくなっていくことが見込まれる。

    ■若い世代で有配偶出生率が低下している

    2015年までは緩やかに減少してきた出生数が、2016年以降、急減に転じた背景として最も注目すべきは、これまで出生数の押し上げ要因であった有配偶出生率が一転、押し下げ要因となったことである。

    押し下げ幅としては、人口要因に及ばないものの、2015年には2万人程度の押し上げ要因であったものが、2020年にはマイナス7000人の押し下げ要因となっており、そのプラスからマイナスへの変化が出生数の減少に与えた影響は小さくなかった。

    なお、2005年ごろまでは婚姻率要因、すなわち婚姻率の低下が出生数減少の主因となっていたが、足元では非婚化・晩婚化が少子化に与える影響は小さくなっている。

    政策当局者のみならず一般的な社会通念として、わが国では結婚さえしてくれれば、ある程度の出生数は見込めるという見通しがあった。その見通しの拠り所は、婚姻率の低下が出生数減少の主因であった1990年代から2005年ごろにあっても、有配偶出生率は出生数の押し上げ要因であり続けたことである。

    そうした見通しを裏切る形で、2016年以降は有配偶出生率が出生数を押し下げる一因となったのである。年齢別に有配偶出生率をみると、20歳代女性で明らかに低下しており、これまで一貫して上昇傾向にあった30歳代も横ばいとなった(図表3)。

    わが国の少子化が、「有配偶出生率の低下」という新しいステージに差し掛かったということを認識しなければならない。

    ■子どもはゼロ、あるいは1人という夫婦が増加

    有配偶出生率の低下には、大きく分けて2つの理由が想定される。

    第1に、晩婚化、晩産化によって妊娠の適期を逃し、子どもが欲しくてもできない夫婦が増えている可能性である。しかし、2015年以降、女性の平均初婚年齢と第1子出産年齢には全く上昇がみられておらず、晩婚化等による有配偶出生率の低下は大きな要因ではないと考えられる。

    第2の理由は、いわば「出生意欲の低下」と呼べる現象が生じている可能性である。たとえ結婚をしても、子どもがいらない、あるいは1人など、夫婦の希望子ども数が低下しているということである。

    ■「希望する子どもの数」はどの層でも右肩下がり

    足元で若い世代の「出生意欲の低下」が進行していることを示唆するデータは、すでに国立社会保障人口問題研究所(以下、社人研)がおおむね5年ごとに実施している出生動向基本調査(以下、調査)にみることができる。

    最新は2015年の第15回調査で、第16回はほどなく発表される予定である。直近の出生意欲の状況を確認するにはその発表を待つしかないが、第15回調査にも、若い世代の「出生意欲の低下」を示唆するデータがある。

    図表4には、第15回調査までの男女別、未婚者の希望子ども数と夫婦の予定子ども数の推移を示した。未婚者の希望子ども数に関しては、結婚意思のある対象者だけに絞った状況も併記した。

    2015年の調査で最も大きな落ち込みがみられたのは未婚の男性で、1.74人となった。2010年調査では2.00人であった未婚女性も、2015年調査では1.88人まで低下している。結婚意思のある未婚者に絞っても、男性1.91人、女性2.02人と低水準であった。

    2015年の調査で希望子ども数の低下がみられた世代が、その後結婚、出産期を迎え、足元の低い有配偶出生率をもたらしていると考えられる。

    ■「子どもをつくらない」理由は経済・雇用環境

    出生意欲の低下をもたらす最大の要因は、若い世代の経済環境の悪化と考えられる。

    図表5に示した通り、社人研の第15回調査によれば、妻の年齢が30〜34歳の夫婦では、理想子ども数まで子どもをつくらない理由として、およそ8割が「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」を選択している(複数回答可)。

    自らの収入に対して高すぎる子育て費用や教育費が、出生意欲の低下に影響を及ぼしていると考えられる。実際、社人研の調査によれば、子どもの数別に夫婦の割合をみると、2人以上の子どもを持つ夫婦の割合が低下し、0人あるいは1人の夫婦が増加している。

    そこで、若い世代の経済・雇用環境の一端を概観してみたい。

    ■若くなればなるほど、実質年収は低くなっている

    図表6は、大卒の男性正社員の年齢別実質年収(2021年価格)を、生まれた年代別にみたものである。出生年が遅い世代ほど、実質年収が低下していることがわかる。1963~67年生まれの世代に比べて、1973~77年生まれ(おおむね団塊ジュニアに該当する年代)が属する40歳代後半の平均年収が150万円程度少ない。

    これほど大幅な賃金水準の低下は、定期昇給が実質的になくなったことや同一の仕事でも単純に賃金が低下していることだけでは説明できない。大学進学率の上昇に、高度人材向け雇用の受け皿の拡大が追い付いていないという要因もある。

    バブル崩壊以降の経済成長の長期停滞により、高度人材向けの仕事が増えず、以前は高学歴者が就くことは想定されていなかった職種や仕事に、大卒者が就く例が少なくないため、結果として大卒者の平均賃金が押し下げられている面がある。しかも、大学進学のために奨学金制度を利用している学生も多く、借金を持った状態で社会に出てくる若者も増えている。

    ■「安定した男性正社員」も子どもを持つことに後ろ向き

    職種別に男性の希望子ども数をみると、それまで横ばいで推移してきた男性正社員も、2015年には大きく下振れした(図表7)。賃金が比較的高く、雇用も安定していると考えられる「正規職員」であっても、「子どもは0ないし1人」など、多くの子どもを持つことに前向きなイメージが持てない男性が増えていることになる。

    男性同様、女性も厳しい環境に置かれている。社人研の調査(2015年)によれば、35歳未満の未婚女性で、自らのライフコースとして「非婚就業継続」を理想のライフコースとする人は5.8%しかいないが、実際にはそうなってしまうだろうと考える人(予定ライフコース)は21.0%いる。

    すなわち、結婚を希望しながら、希望はかなわないと考えている人が一定数いるということになる。特に、非正規雇用の女性は、正規雇用者に比べて「非婚就業コース」の選択率が高い傾向にある。結果として、非正規雇用者で、2010年から15年にかけて希望子ども数の低下が顕著となっている(図表8)。

    ■男性も女性も収入が下がり、広がる「あきらめ」

    非正規雇用の女性が結婚や出産に後ろ向きとなる要因としては、収入の低さと無縁ではない。男性の実質年収が下がっていることもあり、近年、男性が経済力のある女性を求める傾向が強まっている。

    社人研の調査によれば、男性が結婚相手となる女性に求める条件として「経済力」を考慮・重視する割合は、1992年の26.7%から2015年には41.9%に高まっており、低収入の女性にとって、結婚に向けたハードルは高くなりつつあるといえよう。

    若い世代が子どもを生み、育てていくことに対する中長期の展望を描きづらくなり、彼らの一部に一種の「あきらめ」が広がっている可能性がある。少子化対策を考えるうえで、男性、女性を問わず、若い世代の収入や就業状況に注目することが不可欠である。

    ■2030年までが、少子化対策のラストチャンス

    わが国の人口構成を考えると、1990年代に生まれた世代が、今まさに出産期に差し掛かっている。少子化といわれながらも、1990年代には毎年約120万人の出生数があり、その世代は現在20~30歳となっている。出生数の変化を要因分解した図表9の通り、2017年以降、わが国の年齢構成要因が出生数を押し下げる効果は徐々に減り、2020年にはわずかながら押し上げた。

    すなわち、少子化にブレーキをかけるという面からみれば、若い世代の人口が大きく減ることのない今後10年程度は、本格的な少子化対策を講じるラストチャンスと考えるべきである。

    2000年以降に生まれた世代の出生数は、年率1%ずつ減少し、2016年以降は、さらに減少ペースが加速している。すなわち、2030年ごろまでの好機を逃し、2000年以降に生まれた世代が出産期の中心世代となってしまえば、たとえ出生率を引き上げることができても、人口の絶対数の面から、出生数の減少にブレーキをかけることは困難となる。

    わが国に残された時間は、1990年代まれの世代が出産期にある2030年ごろまでとの認識のもと、総力戦で少子化対策に取り組むことが望まれる。

    出生意欲を引き上げていくためには、若い世代の所得や就業状況を改善させて「日本で子を生み育てたい」と思える社会を作る以外に方策はなく、財源の問題を含め、これまでの少子化対策の在り方を根本から見直すことが必要となる。

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    藤波 匠(ふじなみ・たくみ
    日本総研上席主任研究員
    専門は人口問題・地域政策、および環境・エネルギー政策。1992年東京農工大学大学院を修了後、株式会社東芝に入社。東芝を退職後、1999年さくら総合研究所(現在の日本総合研究所)に転職。現在、日本総合研究所調査部に所属。途中、山梨総合研究所への5年間の出向を経験。2015年より上席主任研究員。著書に、『「北の国から」で読む日本社会』『人口減が地方を強くする』『地方都市再生論』(いずれも日経出版)がある。

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    出典=厚生労働省「人口動態調査」


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    【納得】必死に逃げ回る人間を的にするドッジボールは「人間狩猟ゲーム=弱肉強食思想」の教育だと断言できる理由



    小学校の休み時間にはドッジボールで遊んだという人も多いだろう。しかし、この遊びには問題がある。公立小学校教員の松尾英明さんは「ドッジボールは逃げ回る人間を的にする弱肉強食教育推進運動で、教育上の問題がある。だから体育科教育の種目にも存在しない。学校で率先してやるべき遊びではない」という――。

    ※本稿は、松尾英明『不親切教師のススメ』(さくら社)の一部を再編集したものです。

    ■「一人ぼっち」を過剰に怖がる親や子どもたち

    休み時間に、一人ぼっち子どもがいる。担任としては、当然気になる。もし気付かないとすれば、これは観察力において問題がある。クラス子どもに関心があれば、またある程度の力量があるならば、気になって当然なのである。

    もう一人ないしは二人、よく気にしている人がいる。その子の親である。我が子が教室で一人ぼっちというのは、真っ先に解決すべき一大事と考えていることが結構ある。面談でよく聞かれることの上位に「他のお友だちと上手くやれているでしょうか」が来ることからも、その心配ぶりが伺える。

    担任は、子どもを「みんな」の輪に入れようと試行錯誤することになる。休み時間に声をかけるのはもちろん、全員遊びの日を設定して、確実に輪に入るように仕掛ける。これ自体は悪いことではない。これによって助かる子どももいる。特に、本当はみんなの輪の中に入りたいのに上手く入れない子どもにとっては意味がある。

    ここで大切なのは、全員がそう思っているわけではないと理解しておくことである。中には、休み時間は一人でのんびり過ごす方が心地よいという子どもも、クラス内に存在する。

    不親切教師の休み時間の原則としては、子どもに不必要に関わり過ぎない。子どもの主体性を尊重するのであれば、やたらな声掛けは迷惑となる。助けが必要ならば手を差し伸べるが、心の内はなかなかわからない。どうしても気になるようなら、たまに自分も教室で一緒に日向ぼっこでもして過ごす機会をつくればいいのである。それをして初めて見えることもある。

    次は、私が「一人ぼっち」を過剰に怖がる親や子どもたちに向けて書いた言葉である。(『「考える力」を育む子どものための名言集金田一秀穂監修 池田書店 167頁)

    一人でいる。健全なことです。人間は、本来一人なのです。一人で立てる人間同士が必要に応じて助け合うというのが健全な社会です。寄りかかっているというのとは違うのです。

    一人でいるということを肯定する基本姿勢が必要である。これは大人にも言える。やたらと周りとつるんで大声で騒ぐというのは、自信のなさと不安の裏返しである。本当に自信のある人は、一人でいようがたくさんの人といようが、泰然自若としているものである。

    休み時間は、休憩する時間である。仲間と外で思い切り遊ぶ行為が休憩になる子どももいれば、ゆったり過ごすことが休憩になる子どももいる。不親切教師のスタンスをもって、一人でいたい子どもの権利をゆったりと見守る姿勢をもちたい。

    ■休み時間に「みんなでドッジボール」は教育上の大問題

    休み時間、子どもに「何して遊ぼう?」と問いかけると必ず挙がるものの一つが、ドッジボールである。そこで「さあ、みんなでやろう!」と声をかけ、みんなが「イエーイ!」となる。

    今、あえて「みんな」という言葉を使った。この「みんな」という類の言葉には特に気を付ける必要がある。なぜかと言うと、それに同調しない人も必ず一定数以上存在するのだが、「みんな」という言葉を使うことによってそれらの人の存在を見えなくするからである。

    そして彼らを「ノリが悪い」マイノリティとして苦しませる結果につながる。

    先に結論から言う。休み時間にドッジボールをみんなでやろうと誘うのはやめよう。

    一人ぼっちになりがちな子どもをみんなの輪の中に入れよう」という親切心も、このドッジボールという遊びにおいては特に有難迷惑になりやすい。

    なぜならば、ドッジボールでは、活躍するのが往々にして「一部の強者のみ」という事態になり、その他大勢は、「時々投げるチャンスが来ることがある」という程度になるからである。そして、強い子どもの投げるボールに当たると、ものすごく痛い。相手の手元が狂うと、顔面直撃という悲劇も起こり得る。そのため「当たりたくないからずっと外野」という超消極的参加の子どもも出る。この子どもたちは、本心としてはもう参加自体したくないのである。「先生はわざわざ気を遣って声をかけてくれているのかもしれないけれど、不親切でいいから本当に放っておいて欲しい」である。

    この「逃げ回る人間を的にして当てる」ゲームは、狩猟遊びそのものである。必死に逃げ回る獲物を、狙いすまして撃ち殺し、悦に入る。古くから世界各国で行われているあたり、動物としての人間が本能的に好む遊びであると思われる。

    言うなれば、ドッジボールにおいて、強者にとって弱者は必死に逃げ回る面白い「的」であり「獲物」である。弱肉強食教育推進運動である。実際、かつてこんな光景を目にしたことがある。全学年の同じ組の子どもが一緒になって遊ぶ「縦割り遊び」で、ドッジボールをレクリエーションとして高学年が企画した。そこで、心ない一部の高学年男子が容赦なく低学年の子どもたちにバシバシとボールをぶつけ、大喜びしていた。最低である。

    これを学校教育で行うべきなのか。学校で育てるべきは、「思いやり」や「協働」といった社会の中で協力して生きる力である。利己的な「動物的本能」ではない。ドッジボールで育つ力は、はっきり言って、必要なものと真逆の方向である。

    そういう中でこその譲り合いを学ばせる、という意図も、あるにはある。しかし現実は、強者が弱者に譲るだけで、他の学習のような学び合いにはならない。

    ■体育科の種目にドッジボールがない理由

    実際、体育科の種目にドッジボールはない。なぜかと言うと、この運動には次の運動への発展性がないからである。学習指導要領に定められた「ゴール型」「ネット型」「ベースボール型」のいずれにも当てはまらない。人間を的にして楽しむような運動は、体育科教育には存在しないのである。

    最近は、これを電子空間上で行う取り組みも出てきた。実際のボールが当たるわけではないので、身体的な痛さがないのはいい。ただ、人間を的にするという基本は同じである。新しいエンターテインメントゲームとしては有り得ると思うが、体育科教育、もしくは小学生への教育そのものとしていいものであるかどうかについては、正直懐疑的である。

    実はこのドッジボールの問題点に気付いたきっかけは、海外で暮らしていた子どもたちからの一言だった。これまで外国の学校で学んできた子どもたちが日本に来て、日本の学校文化を学ぶ。そこでびっくりする遊びが、このドッジボールなのである。これを見た時の感想は、次の一言に集約される。

    「何なのこれは?」

    海外では、一切やったことがなかったらしい。そして「なぜ人に思い切りボールをぶつけていいのか」が、どうしても理解できなかったらしい(通常は明らかにダメな行為であるので、考えてみれば当然である)。

    ドッジボールは、血気盛んでエネルギーの有り余った子ども同士の遊びとして留めておくことが妥当であり、本当は読書でもして過ごしたい穏やかな性質の子どもを巻き込まない方がいい。

    多様性を認めるこの時代だからこそ、そういった自由を認める姿勢も必要なのではないだろうか。親切心からどうしても「みんな」で遊びたいのであれば、せめてもう少し穏やかなものを選択しようという提案である。

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    松尾 英明(まつお・ひであき)
    公立小学校教員
    「自治的学級づくり」を中心テーマに千葉大附属小等を経て研究し、現職。単行本や雑誌の執筆の他、全国で教員や保護者に向けたセミナーや研修会講師、講話等を行っている。学級づくり修養会「HOPE」主宰。『プレジデントオンライン』『みんなの教育技術』『こどもまなびラボ』等でも執筆。メルマガ「二十代で身に付けたい!教育観と仕事術」は「2014まぐまぐ大賞」教育部門大賞受賞。2021年まで部門連続受賞。ブログ「教師の寺子屋」主催。

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    ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/laurien


    (出典 news.nicovideo.jp)

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